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【家系図】東京女子医大・岩本絹子元理事長と吉岡一族の関係

事件・逮捕

東京女子医大元理事長・岩本絹子容疑者 逮捕

岩本容疑者が背任容疑で逮捕されました。東京女子医大元理事長の岩本絹子容疑者(78)。新校舎の建設に関わる際、非常勤の建築士に対して一切の意見のない「アドバイザー業務」の報酬として約11億7千万円を支払われ損害を与えた疑いが持たれています。

東京女子医大元理事長・岩本絹子容疑者 逮捕

東京女子医科大は、前理事長の岩本絹子容疑者(78)が警視庁に逮捕されたことを受け、岩本容疑者は大学に約12億円の損害を与えた疑いがあるとしています。この不正は、新施設の建設に際し、存在しない顧問業務を装って非常勤職員の建築士に11億7千万円を支払ったというもので、この資金の一部が岩本容疑者の私的流用として流用された疑いがあります。大学は、ガバナンスの不備と前理事長の一方的な意思決定が原因としている。岩本容疑者が資金からどの程度の私的利益を得たのか捜査が進められている。

自宅に現金1.5億円、金塊2キロ、ブランド品の山

納戸にあった大きなスーツケースを開けたら帯封付きの札束があふれ出てきた。総額は1億5000万円。その横には金塊2キロが積み上げられていて、部屋の中はブランド品が山のようにあったのです」(捜査関係者談)Yahooニュースより引用

今回の逮捕の直接容疑は新校舎建設のアドバイザーの1級建築士の報酬1億2000万円を不正に支出して大学に損害を与えた背任容疑。もっとも岩本容疑者はこの不正報酬から3700万円をキックバックさせていたことも分かっている。

岩本絹子の経歴

岩本絹子 1946年生まれ(現在78才)佐賀県唐津市出身

1973年 東京女子医科大学を卒業 産婦人科に入局

1977年 東京女子医科大学大学院を終了

1979年 火災中央病院産婦人科部長後1981年に火災産婦人科を開業

1992年 社団法人至誠会会理事 2013年に一般社団法人至誠会会長に就任

2001年に東京女子医科大学評議員2008年に理事になった。2019年には同理事長に就任。

その一方で、岩本が、至誠会会長と学校法人東京女子医科大学理事長を兼ね、強い権限を振るっていたことを、ガバナンス上の重大な問題と考える者も出てきた。2023年4月、至誠会の臨時社員総会が、岩本の会長解任を決議した。

2024年3月に、大学関係者からの刑事告発を受けた警視庁が、背任の疑いで大学本部や岩本の自宅を一斉捜索した。容疑の内容は、2018年から2020年にかけて、実態のないアドバイザー業務への報酬という名目で大学の資金を流出させ、1億1700万円の損害を与えたというものであった。

東京女子医大のトップになったのは、同大学付属病院の不祥事がきっかけ。2014年に2歳の男児が医療事故で死亡、01年には12歳の女児が外科手術ミスで死亡。診療報酬の優遇措置がストップし患者も激減して大赤字。そこで副理事だった岩本容疑者が経営再建を任された。

もっともやったことは人件費の削減と赤字の医療施設の廃止。表面上の赤字は解消したものの病院の質は低下するばかり。昨年までの7年間で、職員の2割が「やってられない」と退職。岩本容疑者は意に沿わない医師や幹部を次々に閑職に飛ばしてイエスマン理事会体制をつくって自分の報酬とリベートで私腹を肥やしてきた。医大なのに自分の病巣は取り除けず、ついに警視庁のメスが入った。東京女子医大では医療ミスによる死亡事故など不祥事が相次ぎ、患者数が激減。経営の悪化が表面化していた。そのしわ寄せが大学にも及び、21年度の新入生から6年間の学費を一気に約1200万円も上げたのだ。

Yahooニュースより引用

このときの岩本絹子の実態は 下記サイトを参照 東京女子医大が存続の危機

岩本絹子と東京女子医大 吉岡一族との関係

2019年に突然に東京女子医大の理事長に就任しました。わずか3年で赤字から黒字に経営転換させました。なぜ理事長になることができたのでしょうか?。噂されている吉岡一族との関係を調べてみました。

吉岡一族と言うのは東京女子医科大学の創立者です。創立者一族が歴代経営を担ってきました。

同大学では2014年、入院患者の2才男児に鎮静剤プロポフォールを過剰に投与して死なせる医療事故が発生しました。当時の理事長は吉岡俊正氏。創業者の夫・吉岡荒太氏の3番目の孫ということでした。このとき岩本絹子は副理事長に就任していました。

医療事故で大学の信頼が大きく揺らぎましたが、両人は辞任することはありませんでした。国からも勧告を受けながらも学長選を強行しました。

岩本絹子は当時大学同窓会組織「至誠会」の会長を努めていました。至誠会は東京女子医大附属病院の経営に強い影響力を持っていたため至誠会会長の強い力を使って吉岡俊正氏の学長の座を守ったとされています。

岩本絹子は創業者の大姪だった。家系図

岩本絹子は何故要職に就くことができたのかが判明しました。東京女子医科大学の創立者である吉岡弥生さんの夫である吉岡荒太さんの2番目の弟の孫が岩本絹子氏ということでした。

岩本絹子氏と前理事長吉岡俊正氏はそれぞれ祖父が創業者の兄弟だったのです。つまり二人は「はとこ」同士ということになるのです。

吉岡俊正氏が理事長を継続できたのは、そして次期理事長に就任した岩井絹子氏が就任したのも一族経営からの脱却ができなかったが為の終焉だったのでしょう。

東京女子医科大学ではその後も度重なる不祥事の発生やスタッフの反乱(運営不備や内部告発等)の不手際で2024年に岩本絹子氏も理事長を退任せざるを得ませんでした。

岩本絹子は独身。後継者は姪の元宝塚彩輝直

岩本絹子氏は現在も独身で子どももいません。母親は同じく産婦人科の医者でした。幼少期から周囲にお医者さんが多かったようで母親もそうだったようです。岩本絹子氏は吉岡一族でありながら岩本性なのは母親が結婚されて岩本姓になったためでしょう。母親の旧姓は吉岡だったのでしょう。

「現在は独身と言うことで、姪で元宝塚の彩輝 なおさんが親族として今後の動向が注目されます。本名は矢野 小恵子(やの さえこ)日本の女優。 元宝塚歌劇団月組トップスター。 旧芸名は彩輝 直

岩本絹子は理事長時代から女子医大理事長の在籍時代から多大な援助をしていたようです。以前の記事を参照ください。このときの岩本絹子の実態や癒着問題は下記サイトを参照

東京女子医大が存続の危機

まとめ

今回の岩本絹子容疑者の逮捕は、長年にわたる権力集中と、それを許した大学側のガバナンスの欠如がもたらした腐敗の構造を浮き彫りにしました。

表面的には経営を黒字化させたように見えても、その裏では職員の疲弊や学費の高騰といった形で、大学の構成員にしわ寄せが及んでいました。

過去の医療事故の教訓も活かされず、再びトップによる不祥事が繰り返されたことは、大学関係者にとって大きな失望でしょう。

創立者一族との親密な関係が、彼女の要職就任と不正を助長した可能性も否定できません。今後の捜査では、私的流用の全容解明とともに、大学側の責任追及と再発防止策の徹底が求められます。

親族である彩輝なおさんの今後の動向や、巨額の資産がどのように扱われるのかも注目されます。この事件は、医療機関という公共性の高い組織におけるリーダーの倫理観の重要性、そして健全なガバナンス体制の確立がいかに重要であるかを改めて社会に突きつけるものとなりました。

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